Chinese ancient fable
中国の古代寓話
人は蚊のための存在か
斉田氏祖於庭。
食客千人、中坐有献魚雁者。
田氏視之、乃歎曰、天之於民厚矣。
殖五穀、生魚鳥、以為之用。
衆客和之如響。
鮑氏之子年十二、預於次。
進曰、不如君言。
天地万物、与我並生類也。
類無貴賎。
徒以小大智力而相制、迭相食、非相為而生之。
人取可食者而食之、豈天本為人生之。
且蚊蚋F膚、虎狼食肉。
非天本為蚊蚋生人、虎狼生肉者哉。
斉(せい)の田(でん)氏が、ある人のために送別会を開いて、道中の無事を祈った。
この日、田氏の家に集まった食客は千人をこえた。
会の途中、魚と雁を献上した者がいた。
田氏はこれを見て感嘆していった。
「ああ、天は恵み深い。人間のために、五穀をみのらせ、魚や鳥を繁殖させてくださる。」
並み居る者は口をそろえて賛成した。
その時ただ一人、末席につらなっていた十二歳になる鮑(ほう)氏の息子が、進みでていった。
「ただ今のお言葉は間違っています。
あらゆる動植物は、みな人間と同じ生物です。
生物に貴賎の別はございません。ただ、知恵があり力がある者が、
知恵がなく力がない者をとって食うだけのことです。
食われる者は、何も食われるためにつくられたのではありません。
人間が食えるものを勝手にとって食うだけのことです。
天は人間に食わせるためにそれらのものを作られたものでしょうか。
蚊やブヨが、人間の血を吸うからといって、人間は蚊やブヨのために作られたものでしょうか。
虎や狼が動物の肉を食うからといって、その動物は虎や狼のために作られたものでしょうか。」
死ねばみな白骨
楊朱曰、万物所異者生也、所同者死也。
生則有賢愚貴賎、是所異也。
死則有臭腐消滅、是所同也。
雖然賢愚貴賎、非所能也。
臭腐消滅、亦非所能也。
故生非所生、死非所死、
賢非所賢、愚非所愚、
貴非所貴、賤非所賤。
然而万物斉生斉死、
斉賢斉愚、斉貴斉賤。
十年亦死、百年亦死。
仁聖亦死、凶愚亦死。
生則堯舜、死則腐骨。
生則桀紂、死則腐骨。
腐骨一矣。
孰知其異。
且趣当生、奚遑死後。
楊朱がいった、
万物が異なるのは生きている間のこと、死ねばみな同じだ。
生きている間こそ賢愚貴賎の別がある。だが死ねばみな腐って土にかえるだけだ。
しかし、賢愚貴賎は人の力ではどうにもならないし、腐って土にかえるのも人の力ではどうにもならない。
生まれようとして生まれてきたのではないし、死のうとして死ぬのでもない。
利口になろうとして利口になったのではなく、
ばかになろうとしてばかになったのでもない。
出世しようとして出世するのではなく、
おちぶれようとしておちぶれるものでもない。
つまり、生死はもちろん、賢愚貴賎も自然の成り行きで、あれこれ区別することはない。
十年も一生、百年も一生、仁者でも聖者でも死に、悪人でも愚者でも死ぬ。
生前、堯(ぎょう)・舜(しゅん)のような聖人も、死ねば白骨。
生前、桀(けつ)・紂(ちゅう)のような極悪人も、死ねば白骨。
白骨に何のちがいもありはしない。
とりあえずこの世の生を楽しもう。
死後のことなど考えるには及ばない。
〈楊朱〉道家に属する思想家。墨子と同時代の人。
〈桀・紂〉桀は夏の最後の王、紂は殷の最後の王。ともに暴君の典型とされる。
人生わずか五十年
楊朱曰、百年寿之大斉。
得百年者、千無一焉。
設有一者、孩抱以逮昏老、幾居其半矣、
夜眠之所弭、昼覚之所遺、又幾居其半矣、
痛疾哀苦、亡失憂懼、又幾居其半矣。
量十数年之中、遉然而自得、
亡介焉之慮者、亦亡一時之中爾。
則人之生也、奚為哉、奚楽哉。
為美厚爾、為声色爾。
而美厚復不可常厭足、声色不可常翫聞。
乃復為刑賞之所禁勧、名法之所進退、
遑遑爾競一時之虚誉、規死後之余栄、
JJ爾慎耳目之観聴、惜身意之是非、
徒失当年之至楽、不能自肆於一時。
重因ミ梏、何以異哉。
太古之人、知生之暫来、知死之暫往。
故従心而動、不違自然。
所好当身之娯、非所去也。
故不為名所勧。
従性而游、不逆万物。
所好死後之名非所取也。
故不為刑所及。
名誉先後、年命多少、非所量也。
楊朱がいった、
人の命は百がせいぜい。
百まで生きられるものは千人に一人もいない。
かりに百まで生きたとしても赤ん坊の時と、もうろくしてからが生涯の半分。
あとの五十年も夜ねている時とひるまぼんやりしている時がまたその半分。
残り二十五年も半分は病気、かなしみ、おどろき、心配事ですぎてしまう。
残りはたった十数年。
それも悠悠自適して、何の心配もない時は、ほとんどありはしないのだ。
してみると、人は生まれて何をするのか、何を楽しむのか。
せいぜい美衣、美食、歌舞、美人くらいのもの。
だが、美衣、美食といったとことで、いつも満足するわけにいかない。
歌舞だ、美人だといったところで、いつも遊んでいるわけにはいかない。
その上、刑罰や褒賞にしばられる。
せかせかとひとときの虚名をきそい、死後の栄誉まで気にかける。
おどおどして見たいものも見ず、聞きたいものもきかない。
人の顔色をうかがって、自分では是非の判断を下さない。
むざむざこの世の楽しみを捨てて、好き勝手にふるまえない。
これでは手かせ足かせの重罪人とどこが異なろう。
昔の人は、生と死は仮のものであることを知っていた。
だから心のままに行動し、自然の道にそむかなかった。
自分の楽しみを捨て去ろうとはしなかった。
名利にとらわれず、すべてあるがままに生活していた。
死後に名を残そうともしなかった。
こうして無理もしないから、刑罰をうけるはずもなかった。
名誉の高低、寿命の長短などさらに気にかけなかったのである。
第80章 小国寡民
小国寡民、使有什伯之器而不用。
使民重死而不遠徙。
雖有舟興、無所乗之、雖有甲兵、無所陳之。
使人復結縄而用之、甘其食、美其服、安其居、楽其俗、
隣国相望、鶏犬之声相聞、民至老死不相往来。
国は小さく、人口は少ない。
たとい人並みすぐれた人材がいようとも、腕をふるう余地すらない。
住民はすべて生命を大切にして、遠くへ足をのばさない。
舟にも車にも乗る必要がないし、武器も使い道がない。
文字を書いたり読んだりするこざかしさを忘れて、
ひたすら現在のままの衣食住に満足し、
生活を楽しんでいる。
手の届きそうなすぐ隣の国とも、絶えて往来しない。
これが、わたしの理想郷である。
CHAPTER 80
Let the state be small, and let the population be sparse.
Though there are various kinds of instruments, let them not be used;
Let the people not risk their lives, not move to distant places;
Though there are boats and carriages,
There is no occasion to ride in them;
Though there are weapons and military equipment,
There is no occasion to display them.
Let the people return to the use of knotted cords in recording event,
delight in their food, dress in beauty, dwell in comfort, and enjoy their life.
The neighbouring states are within sight of each other, and the cries
of roosters and dogs can be heard by one another,
But the people do not have any contact with each other until they die of old age.
第79章
和大怨必有余怨。
安可以為善。
是以聖人執左契而不貴於人。
有徳司契、無徳司徹。
天道無親、常与善人。
いったん大きな恨みを結んでしまえば、どんなに和解しようと努めても、
完全に和解できるものではない。
はじめから恨みを結ばぬに越したことはない。
聖人は、たとい相手を責める有利な立場にいたとしても、人を責めようとはしないものだ。
徳ある者は、たとい人を責める権利を握っている場合にも、その権利を行使することがない。
厳しく人を責めるのは、徳のない連中だけがすることだ。
天道にはえこひいきがない。
常に徳ある者にさいわいするのである。
CHAPTER 79
When an attempt has been made to reconcile two sides in great enmity,
and there is surely some enmity remaining,
How can this be a good thing?
So, although the sage holds the counterfoil of receipt,
He does not force the debtor to pay back.
The moral man is as calm and unhurried as a bookkeeper is,
And the immoral man is as calculating as a rent collector is (while he is collecting the rent).
The Tao of Heaven has no partiality for any person, and always helps the good man.
第9章
持而盈之、不如其已。
揣而イ之、不可長保。
金玉満堂、莫之能守。
富貴而驕、自遺其咎。
功遂身退、天之道。
酒を満たした杯は、手に取れば酒がこぼれる。
鋭利な刃物は、折れ易い。
財産を蓄えれば、必ず狙われる。
富貴になって慢心するのは、災厄を招くもとだ。
成功すれば身を退くのが、天の道である。
CHAPTER 9
To hold and fill is not as good as to give up.
If a sword edge is sharpened to its sharpest,
It is hard to last long.
If your hall is filled with gold and jade,
Whoever could keep them safe?
To be proud with honour and wealth will bring misfortune.
To with draw as soon as the works is done
That is Heaven's right way (Tao).
第12章
五色令人目盲。
五音令人耳聾。
五味令人口爽。
馳騁畋猟、令人心発狂。
難得之貨、令人行妨。
是以聖人、為腹不為目。
故去彼取此。
美しい色彩は、人を盲にする。
快い音楽は、人をつんぼにする。
うまいご馳走は、人の味覚を狂わせる。
狩を好んで獲物を追うことに熱中すれば、人の心の平衡を失う。
宝物を手に入れようと夢中になれば、人は行いをやめる。
聖人は、もっぱら内面を充実させて、外界の刺激を追い求めない。
つまり、欲望を捨てて、「道」にのっとるのである。
CHAPTER 12
Iridescent colours cause blindness.
Beautiful music causes deafness.
Delicious food causes loss of taste.
Racing and hunting cause madness.
Rare foods tempt people to rob and steal.
Therefore the same only wants to feed the people rather than to dazzle them.
That's why he goes for the former and turns down the latter.
酔っ払いはケガが軽い
夫酔者之墜於車也、雖疾不死。
骨節与人同、而犯害与人異、其神全也。
乗亦弗知也、墜亦弗知也。
死生驚懼、不入乎其胸、是故L物而不摺。
彼得全於酒、而猶若是。
而況得全於天乎。
聖人蔵於天、故物莫之能傷也。
酔っ払いが車から落ちた時、けがしても死ぬほどのことはない。
同じ人間のからだでも酔った時は軽くてすむのはなぜか。
無心の境地にいるからである。
車に乗ったのも知らない、落ちるのも知らない。
死ぬのがこわいとか、落ちるのが恐ろしいとか考えない。
だから、車から落ちる時恐怖心がないのだ。
酔いがもたらす無心の境地でさえこうなのだ。
まして天によって心の調和を得たならば・・・。
聖人は生死、利害を超越し、自分を天にあずけている。
だから傷つくことがないのだ。
人と禽獣
状不必童、而智童。
智不必童、而状童。
聖人取童智、而遺童状。
衆人近童状、而疏童智、状与我童者、
近而愛之、状与我異者、疏而畏之。
有七尺之骸、手足之異、載髪含歯、
倚而趣者、謂之人。
而人未必無獣心。
雖有獣心、以状而見親矣。
傅翼載角、分牙布爪、仰飛伏走、謂之禽獣。
而禽獣未必無人心。
雖有人心、以状而見疏矣。
庖犠氏、女ァ氏、神農氏、夏后氏、蛇身人面、
牛首虎鼻、此有非人之状、而有大聖之徳。
夏桀、殷紂、魯桓、楚穆、状貌七竅、
皆同於人、而有禽獣之心。
而衆人守一状、以求至智、未可幾也。
黄帝与炎帝戦於阪泉之野、
帥熊羆狼豹虎為前駆、
鵰。鷹鳶為旗幟。
此以力使禽獣者也。
堯使典楽、撃石拊石、百獣率舞、
簫韶九成、鳳皇来儀。
此以声致禽獣者也。
然則禽獣之心、奚為異人。
形音与人異、而不知接之之道焉。
聖人無所不知、無所不通。
故得引而使之焉。
禽獣之智、有自然与人童者。
其斉欲摂生、亦不仮智於人也。
牝牡相偶、母子相親、避平依険、違寒就温。
居則有群、行則有列、小者居内、
壮者居外、飲則相携、食則鳴群。
太古之時、則与人同処、与人並行、帝王之時、
始驚駭散乱矣、逮於末世、隠伏逃竄、以逃患害。
今東方介氏之国、其国人数数解六畜之語者、蓋偏知之所得。
太古神聖之人、備知万物情態、悉解異類音声、
会而聚之、訓而受之、同於人民、末聚禽獣虫蛾、
言血気之類、心智不殊遠也。
神聖知其如此。
故其所教訓者、無所遺逸焉。
一口に動物といっても、形態も知能もさまざまである。
だが、形態が異なるからといって知能まで異なるとはかぎらないし、
形態が同じだからといって知能まで同じとはかぎらない。
だから、聖人は形態にとらわれず、知能さえ同じなら、これを同類と考える。
だが、凡人は逆だ。
知能は異なっても、形態さえ同じなら仲間にし、
知能は同じでも、形態が異なれば警戒して仲間はずれにする。
体長は五尺ばかり、手足が分かれ、頭髪をはやし、歯を唇でおおい、
地上を歩く、これが人間だ。
しかし人間にも、必ずしも獣の心がないわけではない。
それでも互いに仲間をつくっているのは、姿かたちが同じだからだ。
翼をもち、角を生やし、牙をむき出し、鋭い爪をもち、空を飛び、地を走る、これが禽獣だ。
しかし、禽獣にも、必ずしも人間の心がないわけではない。
このような禽獣が人間に仲間入りできないのも、やはり姿かたちのせいだ。
伏羲(ふつき)氏、女ァ(じょか)氏は蛇身人面、神農(じんのう)氏は牛の頭、
夏后氏(禹)は虎の鼻、およそ人間の姿とはかけはなれていたけれど、
いずれも並外れた徳の持ち主だ。
いっぽう夏(か)の桀(けつ)王、殷の紂(ちゅう)王、魯(ろ)の桓(かん)公、
楚(そ)の穆(ぼく)公は、姿かたちはどこをとっても人間だが、
心は禽獣そのものだ。
姿かたちにこだわって、至知の持ち主をさがし求めるのは、
見当違いもはなはだしい。
黄帝は、炎帝と阪泉(はんせん)の野に戦ったとき、
くま、ひぐま、おおかみ、ひょう、凵iちゆ)、虎を先鋒隊とし、
わし、たか、とんび、やまどりを伝令として戦った。
威令によって禽獣をあやつったわけだ。
また、堯(ぎょう)はA(き)に音楽をつかさどらせた。
すると、楽の音に百獣が集まって踊りだし
簫韶(しょうしょう)の曲を九度かなでたときには、
鳳凰が現れ、威儀を正して聞き入った。
音楽で禽獣を呼び寄せたわけだ。
してみれば、禽獣の心も人間の心と同じではないか。
ただ、姿や声がちがうので、凡人にはどう接したらよいかわからないだけだ。
しかし、聖人はあらゆることに通じ、知らぬことがない。
だから、禽獣をあやつることができるのだ。
禽獣は知能からいっても、人間と似たものを天性として備えている。
生活の方便を人間から学ぶわけではない。
おすとめすがつがって子をつくり、母は子を可愛がり、子は母を慕う。
すみかには、敵から身を守るに便な、しかも温かい場所を選ぶ。
行くときも止まるときも群れをなし、弱いものを内側において、強いものが外をかためる。
水を飲むのもいっしょ、餌をあさるもたがいに鳴きかわして群れをくずさない。
そもそも太古には、禽獣も人間とともに暮していたのだ。
それが、五帝の時代になって、人間に逐われて遠ざかり、
いまでは人間からの危害を避ける為に、逃げかくれするまでになってしまった。
東方の介(かい)氏という国には、いまでも、家畜のことばを解する者がいる。
一年中、家畜と生活を共にしているためだろう。
太古の聖人は万物に精通し、異類のすべてのことばを解した。
だから、異類を呼び集め、人民と同じように教化をほどこした。
聖人は、まず鬼神、魔物のたぐいを帰服させ、ついで、天下の人民を教化し、
最後に禽獣、虫けらのたぐいにいたるまで恩恵をほどこした。
というのは、生きとし生けるもの、心情も知能もたいしてちがわぬことを知っていたから、
人間だけを特別扱いにはしなかったのである。
〈凵r虎の一種。大きさは犬ぐらい、たぬきのような毛をした猛獣。
〈やまどり〉勇敢で、闘えば死ぬまでやめないという。
〈簫韶(しょうしょう)の曲〉舜が作った音楽の名。
疑い
人有亡鉄者。
意其隣之子。
視其行歩竊鉄也、顔色竊鉄也、言語竊鉄也。
作動態度、無為而不竊鉄也。
俄而掘其谷、而得其鉄。
他日復見其隣人之子、動作態度、無似竊鉄者。
ある男がマサカリをなくした。
隣の家の息子があやしいと思った。
その息子の歩き方を見ると、どうも盗んだようだ。
やることなすこと、みなマサカリを盗んだように見えてくる。
ところが、その後谷間を掘っていると、思いがけずマサカリが見つかった。
それからは、隣の息子のすることなすこと、盗んだようには見えなかった。
気ちがい
秦人逢氏有子、少而恵、及壮而有迷罔之疾。
聞歌以為哭、視白以為黒、
饗食以為朽、嘗甘以為苦、行非以為是。
意之所之、天地四方、水火寒暑、無不倒錯者焉。
楊氏告其父曰、魯之君子多術芸、将能已乎。
汝奚不訪焉。
其父之魯、過陳遇老<、因告其子之証。
老<曰、汝庸知汝子之迷乎。
今天下之人、智惑於是非、昏於利害、
同疾者多、固莫有覚者。
且一身之迷、不足傾一家。
一家之迷、不足傾一郷。
一郷之迷、不足傾一国。
一国之迷、不足傾天下。
天下尽迷、孰傾之哉。
向使天下之人、其心尽如汝子、汝則反迷矣。
哀楽声色、臭味是非、孰能正之。
且吾之言、未必非迷。
而況魯之君子、迷之郵者。
焉能解人之迷哉。
栄汝之糧、不若D帰也。
秦の逢(ほう)氏に息子がいた。
子供の時は利口だったが、一人前になってから気がおかしくなった。
楽しい歌を聞けば悲しくなって泣く。
白いものを見れば黒という。
香をかぐと臭いという。
甘い物を食べるとにがいという。
悪いことをしながら正しいことをしたという。
なんでもあべこべ、ものごとの判断が逆になってしまった。
楊という男が、その父親に教えてやった。
「魯の国には、腕のたっしゃな先生が大勢いるから、行って診てもらうといい」
父親はさっそく魯にでかけた。
途中、陳の国まで来た時、ばったり老子に出会った。
そこで息子のぐあいを話した。
すると老子はこういった。
「どうして息子さんが病気だというのだね。
いま、世間の連中は、ほとんど皆、利害や是非をとりちがえている。
息子さんと同じ病気だ。
そのくせ自分では気づいていないのだ。
まあ一人ぐらい気が狂っても、一家はどうでもない。
一家が気が狂っても、天下はどうでもない。
だが、天下の人がみな気が狂ったら、いったい天下はどうなるのだろう。
もし天下の人が、みなお前さんの息子みたいになったら、
逆にあんたが気が狂っていることになろう。
ものごとを判断するのに、誰が正しいと判断できるかね。
それに、わたしの言うことだって、狂っているかもしれないのだ。
まして魯の国の先生ときたら、狂っているもいいところなのだ。
とても人の世話などやけるものか。
旅費を無駄にするだけだ。
早く家に帰ったほうがよい。」
奇病
竜叔謂文摯曰、子之術微矣。
吾有疾、子能已乎。
文摯曰、唯命所聴。
然先言子所病之証。
竜叔曰、吾郷誉不以為栄、国毀不以為辱。
得而不喜、失而弗憂。
視生如死、視富如貧、視人如豕、
視吾如人、処吾之家、如逆旅之舎、
観吾之郷、如戎蛮之国。
凡此衆疾、爵賞不能勧、刑罰不能威、
盛衰利害不能易、哀楽不能移、
固不可事国君、交親友、御妻子、制僕隷。
此奚疾哉。奚方能已之乎。
文摯之命竜叔、背明而立、文摯自後向明而望之。
既而曰、;、吾見子之心矣、方寸之地虚矣。
幾聖人也。子之心六孔流通、一孔不達。
今以聖智為疾者、或由此乎。
非吾浅術所能已也。
竜叔という男が、文摯という高名な医者の門をたたいた。
「先生の医術はたいへん霊妙とうかがっています。
どうか、私の病気をなおしてください」
「やってみましょう。で、いったいどうなさいなした?」
「それが、どうにも困った病気で・・・。
わたしは村中の人からほめられても名誉とは思わず、
国中の人々からけなされても、それを恥とは思わないのです。
成功したからといってうれしくもなければ、失敗したからといって悲しくもありません。
生が死と同じように、富裕が貧乏と同じように、人間がブタと同じように見えます。
自分が他人のように、わが家が旅先の旅籠のように、
自分の村が蛮族の国のように思えてならないのです。
すべてがこんな具合ですから、恩賞がほしいとも思わず、刑罰を恐れることもありません。
利害、盛衰はいっこう気にならず、哀楽にすら心を動かされません。
このままでは、主君につかえることも、親戚、友人とつきあうことも、
妻子をみちびき、下僕をとりしまることもできません。
わたしはいったいどんな病気にかかったのでしょう。
なにか適切な治療法があるでしょうか」
文摯はひととおり話を聞くと、竜叔に、明るい方に背を向けて立つよう命じた。
そして、その胸を明かりにすかして食い入るように見つめる。
やがて顔を上げ、大きなため息をついていった。
「ああ、あなたの胸は虚そのもの、聖人の胸といってよい。
ただ、どうしたことか、七つの穴のうち一つがつまっている。
聖人の知を備えながら、それを病気と思い込んでおられるのは、おそらくそのためです。
残念ながら、わたしのつたない医術では、治療はかないません」
<七つの穴>聖人の胸には七つの穴があいているといわれた。
19章 作為を捨てよ
才能というものを重視しさえしなければ、競争はなくなり、人民は安らかに生きられる。
道徳などというものを強制しさえしなければ、心を偽る必要がなくなり、人民は自然の情愛に立ち返る。
商工業などというものを廃しさえすれば、欲望をそそるものがなくなり、人民は盗みをしなくなる。
才能、道徳、商工業の三者は、いずれも作為であって自然に反する。
全て取るに足らない。
治世の根本は、人民の本性を回復するにある。
すなわち、無心にさせ、私欲をなくさせることである。
CHAPTER 19
Only when sageness and wisdom are discarded, can the people benefit;
Only when benevolence and righteousness are discarded, 7
can the people return to filial piety and parental affection;
Only when skill and profit are discarded, can there be thieves and robbers no more.
These three (negative principles) are, however, inadequate as a doctrine.
Therefore (as a positive instruction) we shall put people's understanding under this (guidance):
Mainfest plainness, embrace simplicity, reduce selfishness, and hold few desires.
20章 愚者の心
知識を万能視する考えを断ち切れば、悩みはなくなる。
礼に適うといい、適わぬといっても、どれだけの違いがあろうか。
善といい、悪といっても、どれだけの差があろうか。
人がするから自分もそうする。
これではドウドウめぐりで、悩みはいつまでも尽きない。
人々は浮き浮きと楽しげだ。
あたかも酒宴の席にあるかのように、花見に興じているかのように。
だが、わたしの心は、静まりかえって動かない。
まだ笑いも知らぬ赤子のよう。
何をしようという気も起こらぬ。
人々はみな意欲に満ち溢れている。
だがわたしだけはボンヤリと、全てを忘れはてている。
私の心は愚者の心だ。何一つ分別がつかぬ。
人々はみな明瞭だが、わたしだけは暗瞭だ。
人々は決断力に富むが、わたしは何ひとつ分明なものはない。
さだめなくたゆたう海、あてどなく吹く風、それがわたしの姿である。
人々はみな有能だが、わたしだけは木偶に等しい。
わたしだけが人々から離れて、母なる自然のふところに抱かれようとする。
CHAPTER 20
Abandon learning and there will be no sorrow.
How much difference is there between approval and denouncement?
How much difference is there between good and evil?
What others fear cannot but be feared.
It has been so from times of old and the practice doesn't seem to end.
The multitude are so merry, as though going for a great banquet
or ascending a height with a broad view in springtime.
I alone am indifferent, with no concern, like an infant that cannot laugh,
wearied, indeed, as if I have no home to go to.
The multitude all have more than enough,
I alone seem to lack everything.
My mind is that of a stupid man totally in a muddle.
Common people are so brilliant,
I alone seem to be in the dark.
Common people are so demanding,
I alone seen to be tolerant: so broad as the boundless sea,
so vigorous as the untiring blowing wind.
The multitude have their ability,
I alone seem to be clumsy and incapable.
I alone differ from others, essentially because I have acquired Tao.
4つの魔物
楊朱がいった、
人々があくせくするのは4つのことのためだ。
第一に長寿、第二に名声、第三に出世、第四に財貨。
この4つにとらわれているものは鬼神をあそれ、人をおそれ、権威をおそれ、刑罰をおそれる。
これを自然にそむく者とよぼう。
この場合、その人を生かしたり殺したり、運命を支配したりするのは自分以外のものである。
天命にさからわない人は、長寿が羨ましくない。身分にこだわらない人は、名声が羨ましくない。
羽振りをきかせようとしない人は、出世が羨ましくない。
金持ちになろうとしない人は財貨が羨ましくない。
こうした無欲の人を自然のままの者とよぼう。
自然のままの者には敵がいない。
運命を制するのは自分自身である。
だから昔からいうではないか。
「人間、結婚したり仕官したりしなければ、欲望の半分はなくなる。
着たり食ったりしなければ、君主と人民の関係もなくなる。」
引用
『中国の思想』第6巻 老子・列子/徳間書店
没有评论:
发表评论